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目撃された亡霊が本物か否(いな)かは別にして、自民党施設や自衛隊施設などでの、なかったことはないはずの、実際に、あったことはあったはずの、日航123便ジャンボ機の乗客達や乗員達の亡霊目撃騒ぎを鏡にしての、その時に自民党政治家らや自衛隊員らが「何を思ったのか?」での連中が心の中で確信していることでの事故の真実を炙(あぶ)り出す真相追及と、それの書籍化を、青山透子氏や山岡俊介氏や寺澤有氏や志葉玲氏や植草一秀氏や安部譲二氏が着手するように、彼らを突き上げることを、何が何でも、多くの人々にやって貰(もら)わねば! [日航123便墜落後翌朝迄(まで)皆殺し気取り疑獄]

 
「日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ」公式ブログ1985年に起きた日航123便墜落事故を、当時日本航空スチュワーデスとして勤務していた著者・青山透子が、事故の真相を追い求めて綴ったノンフィクションhttp://tenku123.hateblo.jp/
【日航機墜落事故 陰謀】森永卓郎「自衛隊と米軍の不可解な行動。緘口令にミサイル誤射?」https://www.youtube.com/watch?v=0kvtvAZTozw
植草一秀の『知られざる真実』2016年9月13日 (火)日航ジャンボ機墜落の知られざる真実http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-fa0d.html
『日本「怪死」事件史』
(宝島社・宝島社文庫213頁~227頁:別冊宝島編集部編)
日航ジャンボ機墜落事故(1985年)
特別インタビュー、作家・安部譲二
「陰謀でも何でもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」
日本のマスコミは、本当のことを言わないし書かないし、
調べようともしない。
「だから、本当のことを言い続ける僕の仕事が
なくなることはない。日航機の事故は、必ず書く。
これはライフワークだと公言しているんです」
『震災後の不思議な話~三陸の〈会談〉』
(飛鳥新社:宇田川敬介)
3・11後の「幽霊」の噂を丁寧に取材
 
 目撃された亡霊が本物か否(いな)かは別にして、自民党施設や自民党政治家私邸や自衛隊施設や自衛隊艦艇や自衛隊航空機などでの、なかったことはないはずの、実際に、あったことはあったはずの、日航123便ジャンボ機の乗客達や乗員達の亡霊目撃騒ぎを鏡にしての、
 
     自分の派閥が中々(なかなか)大きくならなかったことなどで
    「方位が悪い」として引っ越し捲(ま)くっていたことでの
    当時首相の中曽根康弘だけではなく、
 
     自衛隊員も、
 
     『ジェットパイロットが体験した超科学現象』
     (青林社・97頁~98頁:佐藤守(元自衛隊空将))
     私は、三沢の飛行群司令から市ヶ谷の幹部学校に転勤になり、
    戦略教官を務めたのですが、当時に三自衛隊の学校が
    市ヶ谷から目黒へ移転する計画があって、それの準備に
    駆け回ったものです。その時に東部総監部の先輩から、
    「今でも、総監室前には、三島由紀夫と森田と思われる
    亡霊が出る」と聞きました。「深夜に、ここを巡回する
    当直隊員が、何度も目撃している」と言います。
    「それで、急遽(きゅうきょ)、目黒に移転するのですか?」
    などと先輩を揶揄(からか)ったものです。
 
ことでの、迷信深くて、心の中に確信していることでの事故の真相を炙(あぶ)り出さないはずがないはずの、その時に自民党政治家らや自衛隊員らが
 
     「遺体収容での感謝で現れたと思った」のかや
 
     「救助の遅れを恨んで現れたと思った」のかや
 
     「撃墜された上に、墜落後に惨殺されたことを
    恨んで現れたと思った」のか
 
などの「何を思ったのか?」での連中が心の中で確信していることでの事故の真実を炙(あぶ)り出すことでの、
 
     『震災後の不思議な話~三陸の〈会談〉』
     (飛鳥新社:宇田川敬介)
     3・11後の「幽霊」の噂を丁寧に取材
 
のように、大真面目(おおまじめ)に取り上げ考察する方法での真相追及を、
 
     高天原山・御巣鷹の尾根の直上や直下の上野ダムと南相木ダムの
    揚水式発電所施設での東電社員達や、それの工事中の時の工事関係者達の
 
     日航123便の乗客や乗員の亡霊目撃談
 
も加えての、更(さら)に、真相隠蔽が国益になるのではなく、真相隠蔽が、未(いま)だに続くことでの国益喪失になっていることを、多くの人々に突き付け、真相追及に圧力を掛ける人々や、真相を語らない人々を改心させ胸襟(きょうきん)させることをも目論(もくろ)んでの、
 
     初巻(第一巻)には、日航123便事故に対して御関心がおありの
    森永卓郎氏や植草一秀氏や『黒い墜落機(ファントム)』の著作も
    おありの森村誠一氏に
 
     日航123便事故の真相のお目こぼしで、
    どれほど国益を喪失したのか?
 
     日航123便事故がなかったら、今のような対米譲歩は
    あったのか否(いな)かを問う対談
 
と、
 
     1975年度(昭和50年度)~2016年度(平成28年度)までの
    自衛隊全体でと陸海空各自衛隊別での、自衛隊員の自殺者数と自殺率の
    一覧表
 
も、添えての、それの書籍化と、それのために多くの人々に呼び掛け資金を募(つの)る寄財(きざい:クラウドファンディング)に、
 
     目撃された亡霊が、本物か否(いな)かは別にして、

          亡霊目撃騒ぎが、実際に、あったことにはあった

を問う方法で最適の人物と思われることでの、青山透子氏や、社会派報道家(ジャーナリスト)の山岡俊介氏や寺澤有氏や下里正樹氏や志葉玲氏や植草一秀氏や安部譲二氏が着手するように、彼らを突き上げることを、何が何でも、多くの人々にやって貰(もら)わねば!?
 
 
日航ジャンボ機JAL123便撃墜事件(M氏の証言_完全版)
 https://www.youtube.com/watch?v=Pf3-eJgnOkM
 https://www.youtube.com/watch?v=Pf3-eJgnOkM
mirai2012
2011/01/08 にアップロード
 
 
佐宗邦皇代表「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」ワールドフォーラム2009年8月特別例会
 https://www.youtube.com/watch?v=Y-rbgPbmmTo
 https://www.youtube.com/watch?v=Y-rbgPbmmTo
2009/10/25 に公開
 
 
2013/8/14 日航機墜落後、証拠隠滅も兼ねて世界最大級揚水発電所
TweetTV JP
 https://www.youtube.com/watch?v=-9Zl20t2HgI
 https://www.youtube.com/watch?v=-9Zl20t2HgI
2013/08/13 に公開
2013/8/14 日航機墜落後、証拠隠滅も兼ねて世界最大級揚水発電所 - Captured Live on Ustream at http://www.ustream.tv/channel/tweettv
 
 
上野ダム
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E3%83%80%E3%83%A0
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E3%83%80%E3%83%A0
上野ダム(うえのダム)とは、群馬県多野郡上野村にある、一級河川・利根川水系神流川の最上流部に建設されたダムである。
東京電力が管理する発電専用ダムで、高さ120.0メートルの重力式コンクリートダムである。全面稼動すれば日本最大の発電能力を持つ水力発電所・神流川発電所(かんながわはつでんしょ)の下部調整池として、上部調整池である南相木ダムと共に揚水発電を行うことで最大282万キロワットの電力を生み出す。ダムによって形成された人造湖は奥神流湖(おくかんなこ)と命名された。
地理[編集]
下久保ダム#地理の項目も参照のこと
神流川は、利根川水系の中で群馬県内における主要な支流である烏川の右支川である。三国山を水源として、上野村楢原までは北へ、下久保ダム付近までは東へ流路をとり、藤岡市に入ると次第に北へ向きを変え、関越自動車道を越えると烏川に合流する。
ダムは神流川の最上流部、日本航空123便墜落事故の墜落地点となった御巣鷹の尾根の直下流に建設された。ダムの名称は所在地である上野村より命名されている。
沿革[編集]
信濃川水系相木川の左支川である南相木川(三川)には、上池として南相木ダムを建設し、利根川水系である神流川には、下池として下久保ダムに匹敵する規模の巨大ダムを建設することとした。これが上野ダムである。
さらに上野ダムより上流、御巣鷹山付近の山中、地下500メートルに、奥多々良木発電所を超える、日本最大規模の水力発電所を建設する事となった。この神流川発電所は、1995年(平成7年)より着工した。
観光とアクセス[編集]
上野村中心部よりダムまでは、片側1車線の舗装された道路である。なお、南相木ダムと上野ダムを結ぶ御巣鷹山トンネルがあるが、現在一般利用は出来無い。
 
 
南相木ダム
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%9B%B8%E6%9C%A8%E3%83%80%E3%83%A0
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%9B%B8%E6%9C%A8%E3%83%80%E3%83%A0
南相木ダム(みなみあいきダム)は、長野県南佐久郡南相木村、信濃川水系南相木川に建設されたダム。高さ136メートルのロックフィルダムで、東京電力の発電用ダムである。同社の揚水式水力発電所・神流川発電所の上池を形成。下池・上野ダムのと間で水を往来させ、最大282万キロワットの電力を発電する計画である。ダム湖の名は奥三川湖(おくみかわこ)という[2]。なお、日本のダムの中では最も標高の高い、標高1532メートルに堤体が位置する[3]。
概要[編集]
神流川発電所は南相木ダム湖(奥三川湖)を上池、上野ダム湖(奥神流湖)を下池として利用する揚水発電所である。南相木ダムは、その上池として1995年(平成7年)より建設開始、2005年(平成17年)に完成した。現在1・2号機(各470MW)が稼動しているが、最終的には6台の水車発電機により、揚水発電所としては世界最大となる2,820MWの発電を行う予定である。堤頂への自動車の進入は禁じられているが、徒歩での立ち入りは認められている[2]。
周辺[編集]
交通[編集]
神流川発電所下池である上野ダムへは、一度山を下りて北相木村方面からぶどう峠(県道124号)を越える経路が最短である。 南相木ダムより御巣鷹山の下を通り、群馬県側に抜ける御巣鷹山トンネルは、2014年現在、ゲートにより封鎖され、一般車両の通行ができない。
 
 
寺沢有
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B2%A2%E6%9C%89
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B2%A2%E6%9C%89
寺沢 有(てらさわ ゆう、戸籍上は寺澤有、1967年2月9日 - )は、日本のフリージャーナリスト。主に警察批判を中心に活動している。
 
 
山岡俊介
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E4%BF%8A%E4%BB%8B
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E4%BF%8A%E4%BB%8B
山岡 俊介(やまおか しゅんすけ、1959年8月 - )は、日本のジャーナリスト。株式会社アクセスジャーナル代表取締役。
 
 
志葉玲
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%91%89%E7%8E%B2
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%91%89%E7%8E%B2
志葉 玲(しば れい、英語: Rei Shiva、1975年 - )は、日本のフリーランスの戦場/環境ジャーナリスト(男性)、市民活動家。妻は政治活動家・画家・映画監督の増山麗奈。
 
 
下里正樹
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%87%8C%E6%AD%A3%E6%A8%B9
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%87%8C%E6%AD%A3%E6%A8%B9
下里 正樹(しもざと まさき 1936年12月28日 - )は、大阪市出身の元農林水産省職員で、元「赤旗」の記者(現在の「しんぶん赤旗」)。現在は引退して長野県に在住。木村愛二とは旧知の仲。
松本清張の秘書役もつとめていたことがあり、清張の小説『もく星号事件』には、下里をモデルとした人物が登場する。のち、森村誠一の秘書もつとめ『悪魔の飽食』シリーズを共同執筆した。
また、赤旗に掲載されている将棋・新人王戦の観戦記を書いていたこともあり、観戦記者としての筆名は奥山紅樹。
1995年5月放送のテレビ朝日「朝まで生テレビ!」で、オウム真理教のサリン事件は、陸上自衛隊幹部や闇の勢力が宗教の名を借りたクーデター行為であると独自見解を主張した[1]。
 
 
『黒い墜落機(ファントム)』
(角川書店・角川文庫:森村誠一)
-裏表紙・粗筋書(あらすじが)き-
茨城県・百里基地より緊急発進の最新鋭ジェット戦闘機が南アルプスの「風巣」と言う集落近くの沢に墜落した。だが、自衛隊は事実を公表せず、塚本隊長が率いる「サルビア部隊」を派遣し、極秘に機体の撤収を図る。しかも墜落を知ることでの集落の老人たちの“抹消”を計画。村で民宿を経営する反町重介と恋人の水橋は、村を守るべく立ち上がったが・・・・。異色の政治推理小説!
 
 
 『日本「怪死」事件史』
 (宝島社・宝島社文庫2007年8月25日第1刷発行:別冊宝島編集部編)
 -213頁-
 日航ジャンボ機墜落事故(1985年)
 特別インタビュー、作家・安部譲二「陰謀でも何でもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」
 インタビュー・金子靖
 -222頁-
 安部譲二氏が主張することでの事故原因や、尾翼破壊の原因とは何なのか。
 それは、自衛隊の無人標的機が日航123便の尾翼に衝突して破壊したのだ、と言うのだ。事故当時に、新造された海自護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転中だった。その「まつゆき」艦上のテストで無人標的機が発射され、日航123便の尾翼に衝突した、と言うのである。
 -224頁~225頁-
 安部譲二さんは日航123便が山に向かって北上したことにも、疑問を抱いている。
 「機長は、大阪行きなら、もしも伊丹空港での着陸が何らかの事情で不能になったら、直ぐに代わりに、どこに着陸するかを考えるものです。日航123便は相模湾上空で、何だか分からないけどアネーブル・コントロール(操縦不能)になった。あの場合は、海に不時着することを考えることが普通なんですよ」
 操縦室では、尾翼が壊れていることは全く分かっていない。
 「分かっていなくても、操縦不能なんだから」
 日航123便が、海に向かわないで、陸地に向かった理由は何だったのか。
 「僕はね、最終的には撃墜するためだ、と思いますよ。本では、そこまで書けなかったのですけれど。日航123便の操縦士は、横田か福生に降りようとしていたと思うんですよ」
 日航123便は、海ではなく、山の方に故意に誘導された、と安部譲二さんは主張する。
 -227頁-
 安部譲二氏は、日航機事故を、もう一度書きたいと言う。
 「全日空にも日航にも、エライさんに知っている人がいるんだけど、みな日航機事故のことを言うと黙るんだよね」
 日本のマスコミは、本当のことを言わないし書かないし、調べようともしない。
 「だから、本当のことを言い続ける僕の仕事がなくなることはない。日航機の事故は、必ず書く。これはライフワークだと公言しているんです」
 
 
安部譲二OFFICIAL WEB 大人気ないオトナ
 http://www.abegeorge.net/
 http://www.abegeorge.net/
 
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